伊藤 洋一さんコラム - 第26回
日本経済再生の鍵 (2)現代版の“塾”システム構築を
日本経済の長期的な繁栄と成長のためには欠かせない「科学技術の力」。問題はそれが今の日本から失われつつあることだ。それを回復するにはどうすれば良いのかが大きな課題。筆者は「現代版の“塾”システム」の構築を提言したい。
第25回で、弱かった日本の戦後のスポーツが強くなったのには「育成制度」があったことを指摘した。つまり数歳の子供の頃からスポーツに馴染ませ、子供の向上心を刺激する形で育てる。環境的には当該スポーツの国内リーグをスタートさせ、各チームや協会が力を合わせて選手の選別・育成を図り、同時にファンも増やす。
こうした育成制度によって伸びた日本のスポーツは数多い。サッカーが代表例だし、野球は元々層が厚い。各競技団体は「世界で通用する日本」「五輪でメダルを取れる日本」という具体的目標を掲げて努力している。筆者は東京の北区にあるナショナル・スポーツセンターを取材したことがあるが、実に素晴らしい施設で、日本最高のスポーツ選手の仕上げ場としては最適だと思った。
それだけでなく今の日本には選手育成のための施設を各団体、地方自治体が数多く持つ。それが日本のスポーツの力を伸ばしている。WBCでのアメリカを破っての日本の優勝は、日本の野球人育成システム(高校野球を含めて)の素晴らしさを立証したし、テレビ・ラジオや雑誌がスポーツを報じる機会は大幅に増えた。それがまた国民の関心を呼ぶ。好循環だ。
しかし今の日本で「科学・技術に与えられた場」は十分だろうか。学校教育の場では「いい成績」や「いい大学」だけが優先されているように思う。画一的なのがとっても残念だ。それぞれの子供が持つ興味、好奇心をうまく伸ばすシステムができていない。最低限の基礎教養を養うことは必要だが、それぞれの子供の好奇心は時にその範疇を遙かに超えているのに。
今に続く「ノーベル賞の常連国=日本」の地位をもたらしたのは何か。日本は国を閉じていた江戸から明治にかけても、世界の最先端技術(蒸気機関などなど)をいち早く拾得し、国内にあった技術・知識を合体させて素早く国を強くし、独立国家としての歩みを始めた。筆者は江戸時代後期から日本で広まった「塾」の制度が大きな役割を果たしたと考えている。
江戸時代の教育機関には「昌平黌」、「藩校」、「郷校」、「教諭所」、「心学舎」、「私塾」、「家塾」、「寺子屋」など様々だが、中でも私塾・家塾は一定の枠にはまらず、塾主の個性を基盤とした教育機関で、特に江戸時代後期に活発な活動を行った。結果として多くの有能な人材を世に送り出した。
代表的な私塾・家塾には、咸宜園(大分・廣瀬淡窓)、鳴滝塾(長崎・シーボルト)、松下村塾(山口・吉田松陰)、適塾(大阪・緒方洪庵)、洗心洞塾(大阪・大塩平八郎)、梅花塾(大阪・篠崎小竹)等が知られる。江戸や京都・大坂を中心に、無名ながらも高度な教育内容を誇った個性的な私塾が数多く存在したとされる。
身近な例を挙げると、筆者から四代前のおじいちゃんは「伊藤定太清澄」という和算家だ。ネットで調べると「1842~1911 諏訪郡中洲村(現諏訪市)に生まれた和算家。江戸の長谷川善左衛門弘に入塾し、免許を得て帰郷、塾を開きました」とある。多少の土地持ちだったし、藩の勘定方だったからだろうが、この塾をやりながら和算三昧の一生だったらしい。今では見られないタイプの算盤も我が家には数多く残っている。
江戸時代後半や明治の日本にはこうした「私塾」「家塾」が一杯あったと言われる。数学(和算)ばかりでなく、様々な学びを行っていて、その積み重ねが戦後の「科学技術立国・日本」を作り出した一因と筆者は考える。今の日本にも「塾」は一杯ある。しかしそれらは「受験のための」になっている。合目的的だが画一的だし、今の日本の塾が有為な人材を生み出しているとは思えない。
そこで筆者は「現代版“塾”システムの構築」を提唱したい。むろん昔の塾は若者が特定の場所に集まって勉強し、好奇心を伸ばした。実に幅広い社会の階層の子供達が一緒に学んだというのが重要だ。今は集まる必要もない。鹿児島の子供と北海道の子供が一緒に学ぶことも可能だ。国境を越えたって良い。ネットに寄り集まれる場所を作るのだ。
今の日本にこそこうした「枠を超えた学びの場」が必要だと思う。それが将来のことかも知れないが「科学技術で光り輝く日本」を再び生み出すことができると思う。スポーツ以外に興味を持つ子供も実は多い。そうした子供達にも育成制度が必要だ。「塾」が古くさい、今では違った意味を持つ言葉になっているのも確かなので、変えることも可能だ。しかし江戸時代や明治時代に「私塾」「家塾」が近代日本に果たした役割は重要で、「塾」という言葉も馴染んでいる。
日本には優秀な大学・企業は一杯ある。競い合うのは良い。しかし経済力の根本である革新や技術が「三遊間」で生まれることを考えると、それらの競争を超えた「日本のスポーツにおけるナショナル・スポーツセンター」のような横断的な存在も必要だと思う。
バックナンバー
PROFILE
伊藤 洋一(イトウ ヨウイチ)
経済評論家
1950年長野県生まれ。金融市場からマクロ経済、特にデジタル経済を専門とする。著書に『ほんとうはすごい!日本の産業力』(PHP研究所)、『日本力』(講談社)、『ITとカースト インド・成長の秘密と苦悩』(日本経済新聞出版社)、『カウンターから日本が見える―板前文化論の冒険―』(新潮社)など。「金融そもそも講座」などに書評、エッセイ、評論などを定期寄稿。
- ※この記載内容は、当社とは直接関係のない独立した執筆者の見解です。
- ※掲載されている情報は、最新の商品・法律・税制等とは異なる場合がありますのでご注意ください。