伊藤 洋一さんコラム - 第1回
「中国人は存在し続ける」という発想
私が講演会などをやった後で受ける質問で最も多いのは、「これからの中国はどうなると思いますか。大丈夫ですか」というものだ。既に工場進出などで中国に進出しているか進出を検討している経営者・関係者は無論のこと、尖閣問題などで日中関係が今のようにこじれてくると、一般の人間としても気がきでないのだろう。つい最近も、中国の最も象徴的な場所である天安門で小型自動車が爆発炎上して5人が死亡するなど、テロが疑われるきな臭い事件も起きている。日中関係だけでなく、中国は国内も緊張しているのだ。確かにいろいろ不安だ。
しかしこの問題を考える上で一番重要なポイントは、「今の共産党政権が倒れるなどの政変があろうとも、そこには13億人以上の民(労働者であり消費者でもある)は存在し続ける」という視点だと思っている。政府が変わっても、人々は働いて所得を得なければならないし、得た所得で何か買うとしたら価値のある物を買わなければならない。だからもし日本企業が職を中国で提供し、価値ある物を中国で売っていたら、何があろうときっちりと中国で居場所を見付けられるはずだ、と私は考える。
今の消費者は賢い。ネットで情報を得ているから、何に価値があるかを知っている。自分が支払うお金に正当な見返りを欲しがる。安っぽい愛国心は役立たない。それは70年代、80年代の日米経済摩擦でも立証されている。そしてそれは世界的現象だ。もし日本企業が今そうであるように世界に誇れる製品を作っている存在なら、中国の人たちは相当なことがあっても中国で仕事を作り出し、消費者に良い製品を提供する日本企業を心の底では歓迎するだろう。つまり、体制変化は短期的には中国企業、海外企業にとっても不安だろうが、長い時間の流れの中では客観的状況はあまり変わらない、ということである。
実は尖閣の問題が日中間の不仲の原因になって関係が緊迫化した一年間を見ても、何ら問題なく難局を乗り越えた中国進出の日本の企業は多い。
- 「唯一無比の製品を作っている会社」(ほ乳瓶など)
- 「中国人従業員が“私がこの会社を守る”とまで言う程に現地に溶け込んだ日本企業」(空調など)
- 「香港や台湾企業、それにアメリカの企業と合弁で中国に進出した日本企業」(機械部品など)
などだ。つまり、しっかりした製品と中国という市場への堅固な足場があれば、今の中国がどうなろうとあまり心配することはない、ということだろう。尖閣という問題が長引くにしても、過去一年ほどの高い緊張が続くわけではない。日本に個人で来る中国人旅行者は過去一年もかなりいたし、一年が経過した今は団体旅行も増えている。あの小さな島を巡って、世界第2位と第3位の経済大国が経済まで含めた大切な関係全体を危機にさらすことは、お互いにとって賢明ではない。「政治の知恵」が発揮されると考えるのが自然だ。
中国経済に一時の勢いがないことは確かである。しかしこれは当然だ。中国の労働者の労働賃金も上がってきた。中国を下回る賃金で器用な人手の多い途上国はベトナム、バングラデシュ、ミャンマーと多い。中国は「中進国の罠(わな)」にはまっている。固定電話時代を経ずにケイタイ時代に突入するなど「中間省略型成長」を遂げてきたが、「社会の民主化」「国営企業の整理」など中間省略せずにやらなければいけなかったことをしてこなかったツケが今来ている。産業の高度化が必要だが、なかなか出来ない。その結果貧富の格差は拡大し、農村人口を都市に移しすぎたが故に、近い将来の「食糧不足」も予言されるなどの問題点を抱えている。
しかし依然として中国が世界の成長センターのひとつであることは間違いない。先進国メーカーの製品を好んで買える消費者の数が増えている間は、また国民一人当たりGDPが増加している間は、中国でのビジネス・チャンスはあると考えるのが自然だと思う。中国は隣国であり、世界1位、2位を争う多人口国であるが故に、最近は良いニュースも悪いニュースも様々報じられる。個々の問題には深刻なものも多い。しかし、中国の消費者に「あそこの製品は良い」という印象を持ってもらっておいて悪いことはない。日本はそうやって世界に受け入れられてきた。それは今でも変わらないと思う。
中国に頻繁に行く筆者には、中国の変貌ぶりは著しい。戦後のあれだけの貧しさから60年代のほぼ10年間の空白(文化大革命)を経てここまで来ているのだから問題は噴出する。今の統治者である中国共産党もいつまで持つか分からない。しかし中国という国、または地域は存在し続け、国が割れたとしても13億の民を抱え続ける。そのことこそが中国を考える上で一番重要な視点だと思う。
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PROFILE
伊藤 洋一(イトウ ヨウイチ)
経済評論家
1950年長野県生まれ。金融市場からマクロ経済、特にデジタル経済を専門とする。著書に『ほんとうはすごい!日本の産業力』(PHP研究所)、『日本力』(講談社)、『ITとカースト インド・成長の秘密と苦悩』(日本経済新聞出版社)、『カウンターから日本が見える―板前文化論の冒険―』(新潮社)など。「金融そもそも講座」などに書評、エッセイ、評論などを定期寄稿。
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