生命保険の歴史
掲載日:2015年11月17日
はじめに
狩猟時代の後、農耕時代には、作物が生産できる「土地」があれば生活の保障になりました。しかし時代が進み、都市の発達とともに、事業や生活を守るために仲間同士の助け合いの制度が生まれました。それが、「生命保険」の始まりです。
助け合いとしての生命保険
最初の「仲間同士の助け合い組織」は、中世ヨーロッパの諸都市で発達した「ギルド」という同業組合であると考えられます。ギルドでは、組合員に一定の組合費を払ってもらい、積み立てをしました。積立金は、仲間の葬式代や遺族の生活保障、病気や事業の失敗の救済等のためにも使われました。ギルドが生命保険の始まりであるといわれることもあります。
その後、17世紀終わり頃になって、イギリスのセントポール寺院で「香典前払い組合」が生まれました。この制度は、セントポール寺院の牧師全員で組合を作り、毎月一定の金額を払い込んでおいて、その資金で組合員(牧師)の死に備えるというものでした。
また、1706年には、健康状態、年齢に関係なく一定の掛け金を集め、その年の死亡者に公平に分配する「アミカブル(親愛な)・ソサエティー」という組合が、やはりイギリスで生まれました。
さて、香典前払い組合は、掛け金を払い込んだ年月に関係なく受け取る金額を同じにしたため、長く掛け金を払い続けなければならない若い牧師が、不公平感から次々と組合を抜け、老齢の牧師ばかりとなり、10年ぐらいでつぶれてしまいました。
一方、アミカブル・ソサエティーは、年による死亡者数の違いにより、遺族がもらえる金額が異なるという不公平が分かり、ここでも若い人の加入が減り、老齢の方の加入が増える状況になりました。そこでその対策として、加入資格を、「健康で、12歳~45歳までの者」と改め、死ぬ率の高い老齢の方は入れないという制限が設けられました。
ただし、この加入制限に科学的な根拠はありませんでした。
大数の法則に基づく生命保険の誕生
14~16世紀のルネッサンスの時代以後、ヨーロッパでは、科学の研究が盛んになり「大数の法則」も発見されました。大数の法則とは、数少ない経験では偶然に見えることでも、たくさんの例を集めて統計を取ると一定の法則がある、という自然法則です。
ハレーすい星を発見したイギリスの天文学者ハレー(1656~1742)は、1693年の「ハレーの死亡表に関する論文」で大数の法則が人間の寿命にも当てはまることを発表しました。ハレーはこの論文のなかで、生命保険料や終身年金の掛け金は、加入年齢に応じて差がつけられるべきであるとも示唆していました。
その後、ジェームス・ドドソン(1710~1757)という人物が、ハレーの死亡表に関する論文のなかの「ハレーの死亡表」の理論をもとに、年齢別の死亡率に応じた保険料を算出しました。
1762年にドドソンの考え方に基づく生命保険会社として、「エクイタブル(公平な)・ソサエティー」という会社が設立されました。この最初の近代的生命保険会社は、それから200年以上もイギリスで営業を続けました。
以上が、仲間同士の助け合いの制度の始まりから、公平で合理的な生命保険制度誕生までの歴史の概略です。
(公財)生命保険文化センター発行「生命保険物語 助け合いの歴史」を参考に執筆
※掲載されている情報は、最新の商品・法律・税制等とは異なる場合がありますのでご注意ください。
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