長寿国ニッポンの土台となった、日本の社会保険制度
日本の社会保険制度
日本の社会保険制度の特長のひとつとして「国民皆年金・皆保険」ということがあげられます。これは、制度として文字通り「国民の全員(皆)が、何らかの年金制度、健康保険制度に加入する」ことを意味します。
例えば、健康保険については医療行為に診療報酬(点数)がつけられ、その金額が決まっています。したがって原則、日本全国どこの病院に行っても同じ医療行為であれば同じ金額になり、誰でも所得水準や年齢によって分けられた自己負担割合で診察・治療を受けることができます。
また、年金については原則20歳以上になれば、職業等により加入する制度は違いますが、何らかの年金制度に加入することになります。
海外の社会保険制度
この「国民皆年金・皆保険」という仕組みは、日本に住んでいると当たり前のように感じますが、諸外国を見ると決して当たり前ではありません。
例えば、アメリカでは公的健康保険は、障がい者や高齢者向けのみになっており、その他の人は民間保険会社等の保険に自己責任で加入することになります。
また、ドイツにおいて公的年金は被用者で一定額の収入のある16歳以上の者が強制加入となり、その条件にあてはまらない被用者は任意加入となります。
つまり、憲法第25条(生存権)を土台とした日本の「国民皆年金・皆保険」という社会保障の仕組みは、世界にはあまり類のない仕組みだということです。そして、この仕組みが、世界の中で「長寿国ニッポン」という地位を築けた大きな要因のひとつであるとも考えられます。
日本の社会保険制度のあらまし
では、日本の社会保険制度はどのような経緯で誕生したのでしょうか。世界ではじめて社会保険制度が創設されたのは、19世紀終盤のドイツでした。当時のドイツは産業革命によって急速な工業化が進み労働条件が劣悪であったため、労働者の不満はたまる一方でした。そんな中、当時の帝国宰相の地位にあったビスマルクは、労働者の福利厚生を推進するための社会保険制度(1883年「疾病保険法」、1884年「労災保険法」、1889年「老齢・障害保険法」)を制定し、その労働者の不満を封じ込めようとしました。つまり、不満を持つ労働者に対する政策だったというわけです。
そして日本の社会保険制度は、このドイツをお手本につくられたといわれています。また健康保険において、ドイツでは既存の共済組合を国が認めて制度を構築していきましたが、日本でも既存の共済組合を認めることによって、1922(大正11)年に最初の健康保険制度ができました(施行はその5年後)。
しかし、日本の場合はドイツとは違い、認められた組合は大企業の中に設立された組合のみでした(これが後の企業の健康保険組合のルーツになりました)。また、そのままでは日本の企業の大部分を占める中小企業の従業員が被保険者から漏れてしまうため、国が保険者となって中小企業を対象とした健康保険(政府管掌健康保険)がつくられました。
社会保険制度のあらましや、海外の社会保険制度に触れることにより、あらためて日本の社会保険制度のありがたみを感じます。何気なく納付している保険料にも納得がいくかもしれませんね。
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コラム執筆者プロフィール
平野 厚雄 (ヒラノ アツオ) マイアドバイザー.jp®登録 - CFP®、社会保険労務士、柔術家。
郵便局、独立系FP事務所、社労士事務所勤務を経て、2011年10月「FP社会保険労務事務所 柔コンサルティング」設立。
資格講座・研修講師、執筆活動を中心に、独立系ファイナンシャルプランナーおよび社会保険労務士として活動中。その傍ら、ブラジリアン柔術道場の柔術インストラクターも務めている。
ファイナンシャルプランナー 平野 厚雄
※この記載内容は、当社とは直接関係のない独立したファイナンシャルプランナーの見解です。
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