堤 未果さんコラム - 第3回
教育はリアルが主、デジタルが従
これまでは、現在の日本において急ピッチで進められているデジタル化の問題を取り上げ、行政のデジタル化やキャッシュレスの問題点と、本来あるべき姿について伝えてきました。最終回では、コロナ禍の中でオンライン授業やICT活用が一気に進んだ日本のデジタル教育の問題点、今後のあるべき方向性について、世界の事例を取材した私の見解をお伝えします。
教育において、デジタルツールはあくまで補完物に過ぎない
私は教育においてデジタルツールは、あくまで補完的であるべきだと考えています。教育の醍醐味は、生身の人間同士のコミュニケーションを通して、子どもの潜在的能力を引き出すことだと思うからです。もちろん、オンラインで便利になる部分もあるのでデジタル化そのものに反対はしませんが、こと教育に関しては長期に与える影響がとても大きい分野なだけに、デジタルを入れる箇所と人間がやるべき箇所を見誤らないよう、各国の先行事例を見ながら、慎重に進めるべきでしょう。
もちろん、ツールとしてもメリットも沢山あります。パンデミックによって世界中の学校が閉鎖される中、オンライン授業やオンデマンドを上手く使った地域は授業を続けることができました。ひきこもりの子や、発達障害などでどうしてもノートが取れない子たちに、タブレットが有効なツールになることも少なくありません。最近ではオンライン上の中学や高校が、リアルの学校になじめない子どもたちの受け皿となるケースも増えています。
一方、デジタル教育が抱えるデメリットも数多く報告されています。例えばコロナ禍のアメリカでは、家にネット環境がない子や、まともなデジタル設備がない公立学校の子たちと、そうでない子たちの間の教育格差が問題になりました。米国教育省で行われた研究では、平均的な生徒には、デジタル学習アプリより質の良い教師をあてがう方が、成績が上昇したという結果が出ています。言語脳科学者の酒井邦嘉教授は、「紙の教科書に比べデジタル化された教科書は記憶に残りにくく、子どもたちの学びにマイナスになる」と警鐘を鳴らしています。タブレットは考える前にすぐ検索してしまうため、自分の頭で考える力が劣化するリスクもあるでしょう。ヨーロッパを中心に38ヶ国が加盟するOECD(経済協力開発機構)が2015年に行った調査では、パソコンを使う時間が長かった生徒ほど読解力や数学の成績が落ちたという結果が、大きな議論を呼びました。
デジタル教育よりもリアルでの経験を積ませることの方が大事
ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズといったIT界を牽引した人物が、自分の子どもにはスマホやタブレットを持たせなかったという話は有名です。グーグルなどのテック企業幹部の子どもが通うシリコンバレーの学校では、13歳以前の生徒がデジタルテクノロジーに触れることを禁止しています。これはデジタルツールが子どもに与える悪影響について、彼らが誰よりもよく知っているからに他なりません。日本では香川県が子どものネット・ゲームの利用時間に関する条例を出して話題になりましたが、中国や韓国では、未成年のゲーム利用時間制限や、深夜のオンラインゲーム接続禁止設定など、それぞれ国を挙げて厳しく規制しています。子どもの心身、特に脳に与える弊害については生涯にわたりマイナスの影響を及ぼしますから、私たち大人が重く受けとめ、法的な枠組みを含めて対処していかなければなりません。
今、日本では、学校でデジタルツールの使い方をもっと教えるべきだという声が高まっています。ただ、デジタルツールは日進月歩で進化するもの、今のツールの使い方を教えても、子どもたちが大人になる頃には、もうそれ自体が消えているかもしれません。そもそも今の子どもたちは、大人が教えなくても、必要性を感じたらデジタルツールの使い方くらい習得していくものです。デジタル教育について、台湾のデジタル担当大臣であるオードリー・タン氏と対談した時、彼女は私に言いました。「子どもにデジタルツールの使い方など教える必要はありません。」そんなことより、「多面的な視点からものごとを深く考える力をつけるために、自分と異なる意見の人とディスカッションして妥協点を見つける訓練をさせた方がいい。」と。大切なのはデジタルを学ばせることではなく、デジタルを使って学ぶ「内容」について、子どもたちに問いを投げてあげることなのです。
もし私がデジタル教育をする立場になったら、まず最初に「デジタル倫理」を教えるでしょう。スマホやネットは便利だけど、リスクもあること。高速で時空をこえる仮想空間であっても、画面の向こうには、私たちと同じように、怒り、笑い、悲しみ、傷つく生身の人間がいること。これは人間が人間に教えられる種類のことですよね。私が、教育をデジタルに適応させるより、デジタルを教育に合わせるべきだと言うのは、そういう理由なのです。第1回でも触れましたが、行政のデジタル化と同じように、デジタル教育も焦って進める必要はありません。各国の事例を見ながら、デジタルを使う箇所と、使わない箇所をしっかり見極めた上で、少しずつ導入していけばよいのです。
何事も光と影の両面をバランスよく見ることが大事
私の著書『デジタル・ファシズム』には、このような海外の事例やデータと共に、デジタル化のリスクについての話が沢山出てきますが、だからと言ってデジタル化を全否定しているわけではありません。手に入る情報が利便性やメリット中心の日本で、あえて問題提起としてこれを書きました。人間の歴史を振り返るとわかるように、新しい技術は常に諸刃の剣です。デジタルもまた、使う側の目指すものや使い方によって、社会にとっての光にも毒にもなりえるツールの一つに過ぎません。だからこそ使う側である私たちが、今立ち止まって冷静にその光と影をよく見て理解し、何のために使うのかを、自分の頭でよく考えることが求められているのです。
私は「貧困大国アメリカ」シリーズなど、アメリカの影の部分やグローバル資本主義の負の側面を数多く取材し、本を書いてきました。でも個人的には、アメリカという国が持つチャレンジ精神や底力、正義に対する信仰心、異なるものを受け入れる寛容な文化など、10代の時から、憧れに似た気持ちを、ずっと今も持ち続けているのです。
そんな私を変えたのが、9.11に起きた同時多発テロ事件でした。テロをきっかけにみるみる排他的に変わってゆくアメリカを目の当たりにした時のショックは忘れられません。自分はアメリカの良い面しか見ていなかったのではないか。この国には、私が知らなかった別の顔、違う歴史が、政治構造があったのだ……そんな風に感じて、しばらく何を信じればいいのかわからず先が見えなくなってしまった時期もありました。でもジャーナリストになり、改めてアメリカの表と裏の両方を、自らの目と耳でしっかりと見ることで、再び希望を持つことができたのです。取材を通して、国家も人も全てのものに陰陽の両面があるという気づきは、自分の中のステレオタイプを壊すための力になり、真実を知ることは、未来は変えられるのだという希望をくれました。
このコラムでお話ししたように、デジタル化には光と影があります。このすごいツールを、日本を幸福な社会にするために使うのだと、まず、私たち一人一人が心に決めましょう。日本人にはそれができるはずです。未来はテクノロジーがもたらすのではなく、私たち人間がその先に描くイメージで決まるのですから。
PROFILE
堤 未果(ツツミ ミカ)
国際ジャーナリスト
東京都生まれ。ニューヨーク州立大学国際関係論学科卒業。ニューヨーク市立大学大学院国際関係論学科修士号取得。国連、米国野村證券を経て現職。米国の政治、経済、医療、福祉、教育、エネルギー、農政など、徹底した現場取材と公文書分析による調査報道を続ける傍ら、テレビ・ラジオ・新聞など多くのメディアで活躍中。2006年に『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』(海鳴社)で黒田清・日本ジャーナリスト会議新人賞の受賞を始め、中央公論新書大賞、日本エッセイスト・クラブ賞などを受賞。多数の著書は海外でも翻訳されている。近著に『日本が売られる』(幻冬舎)、『デジタル・ファシズム』(NHK出版)ほか多数。
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