三浦 瑠麗さんコラム - 第1回
気候変動問題と経済安全保障への対応から見る岸田政権の課題
岸田政権が成立してはや2か月。衆院選後はじめての岸田総理の仕事はイギリス・グラスゴーで開催されたCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)に参加することでした。前任の菅政権がおよそ一年前に行った国際公約、2050年までのカーボンニュートラルの実現は、今後数年間で行われる施策にかかっており、岸田政権が全面的に責任を負うことになります。
日本ではまだ環境政策に対する認知が十分に高まっていませんが、もはや各国の環境政策の主要な動機は経済競争に向かっており、環境保全のために先進国ができる限りのことをする、といった「地球環境保護」の文脈を超えてしまっています。菅政権がカーボンニュートラル公約を掲げたのは、まだ米国の大統領選挙の結果が出る前のことです。トランプ大統領ならば引き続きパリ協定離脱路線を継続し、連邦政府としては気候変動問題にコミットしないという立場になるはずでしたから、日本が遅ればせながらとは言え、バイデン氏の大統領当選を待たずして自ら国際公約を行ったことの意味は大きいと言えます。
気候変動問題というと、先進国と発展途上国の間に対立があると報じられることが多いのですが、今回のCOP26では新たにインドが2070年までにカーボンニュートラル実現を目指す国際公約をしました。2020年9月に、2060年のカーボンニュートラル目標を発表した中国も、COP26では米国との共同宣言を通じ、今後10年間の気候変動対策で米中協力を強化するとしました。
パリ協定以後、先進国だけでなく発展途上国も巻き込んで、それぞれに目標を設定して競い合う仕組みが機能している形です。米中関係は非常に厳しくなっていますが、気候変動問題はそんな米中対立時代に両国が協力できる例外的な分野として注目されていただけに、中国の歩み寄り姿勢は歓迎されています。
逆に、中国と、気候変動問題に積極的に取り組もうとする国々の対立点は、石炭火力をどうするかにありました。石炭火力依存を減らすべきというのは国際的コンセンサスといってよいのですが、いつ、どのようなペースで削減ないし廃止するのかについては意見の隔たりが大きい。例えば、日本は原発事故の影響が長引いていることもあり、二酸化炭素排出削減の技術を施した石炭火力発電にまだまだ依存していますし、中国も石炭火力発電を抑制したものの、深刻な電力不足に直面している状況です。
カーボンニュートラルを掲げている当のEUも、足元ではドイツが石炭火力に大きく依存していることは周知の事実。けれども、目標を掲げなければ依存度を減らすことはできない。何より、先に石炭依存を脱却した国から、脱却できていない国々に対して不利益な規制を導入するのではないかということが予想されます。
ここからも教訓がくみ取れるように、カーボンニュートラルを早期に実現することは各国の産業政策の中核であり、国際経済競争の本丸なのです。現に今回、国際会計基準(IFRS)財団が発表した新たな環境基準の骨子では、企業は自らの生産活動で直接排出した分だけでなく、カーボンニュートラルではない電力を使うなどして間接的に排出した分、そしてさらにはサプライチェーンにある企業の排出量さえも公開することになっています。そうすると、電力をカーボンニュートラル化できていない日本で生産活動を行う企業が、ただでさえ国際競争力が衰えているところへ、国際市場や国際取引から締め出しを食らう可能性すらある。岸田政権は、この問題に対してしっかりと危機感を持ち、最優先課題としてカーボンニュートラル化、とりわけ電力のカーボンニュートラル化を進めるべきでしょう。
では、気候変動問題以外の米中関係はどのように展開し、日本はそこからどのような影響を受けることになりそうでしょうか。ここでの重要なキーワードが『経済安全保障』です。
経済安全保障というのは比較的新しい響きをもつ言葉ですが、エネルギー安全保障とか、食糧安全保障とさほど変わらない、しかしより広範な意味合いを持つものとして理解していただければよいかと思います。
本来、安全保障の問題として見なされにくい領域であり、かつ国民生活を維持する上で死活的なものに「安全保障」という言葉をかぶせることで、日本政府としてどのような政策をとったらよいか、「国策」を定義するというやり方ですね。例えば、日本は資源やエネルギーの多くを海外からの輸入に頼っており、輸入が途絶えたり価格が極端に高騰すると生きていけないことから、戦略的に備蓄を用意したり、国内生産可能なエネルギーを増やしたり、あるいは国内生産を後押しするために補助金を出す、といった手法です。
経済安全保障に関しては、自民党が以前に経済安全保障戦略を策定すべしという提言を出しています。内容を見ると、個別具体的にはこれまで必要性が言われながらも取り組みが進んでこなかった問題が列挙されており、さほど目新しいものではありません。むしろ、重要なのは二つです。まず一つ目は、個別課題を「経済安全保障」という概念で捉えなおし、優先度をグンと上げて取り組んでいくこと、二つ目に、米国や中国の動向によって日本が多大な影響を受ける立場にあることを意識し、能動的に動いていくことです。
岸田政権は、現在国会に経済安全保障法案を提出していますが、その中身はというと、足元で不足している汎用品としての半導体生産への補助、国内のデータセンター強化と分散配置、海底ケーブル網の設置などです。今後、中国政府など外国の政府と強い関係性を有する人を通じて情報が流出したりしないように政府が対策をとる可能性がありますし、特許を非公開とする措置なども検討されています。金融や交通、電力網などの基幹インフラに使われている外国製品も、情報漏洩や外部からの操作など、安全保障上脅威を及ぼす可能性がないかどうか、事前審査が行われる可能性があります。
しかし、そうした取り組みをまず進めた上で、今後の課題となってくるのは経済安全保障に求められるものはいったい何なのか、不確実性が大きいということです。中国を意識した経済安全保障の取り組みは日本が一国で決められることでもなければ、完結することではないからです。米国の動きを注視しつつ、必要性が低いのに経済へのダメージが大きすぎる措置を求められた場合など、同盟国として言うべきことはきちんと言い、押し戻すべきところは押し戻していかねばならない。米中対立の流れにのまれるだけでは、安全保障も担保されないまま翻弄され、ただ経済力を削がれて終わるでしょう。新政権はさっそく巨大な課題に直面しています。次回は、そんな米国の動向を知るべく、米中対立の起源を振り返ります。
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PROFILE
三浦 瑠麗(ミウラ ルリ)
国際政治学者、シンクタンク 株式会社山猫総合研究所 代表
1980年神奈川県生まれ。内政が外交に及ぼす影響の研究など、国際政治理論と比較政治が専門。東京大学農学部を卒業後、同公共政策大学院および同大学院法学政治学研究科を修了。博士(法学)。東京大学政策ビジョン研究センター講師などを経て、2019年より現職。テレビをはじめ各メディアで活躍する一方で、多くの執筆や言論活動も行う。近著に『日本の分断 私たちの民主主義の未来について』(文春新書)のほか、『21世紀の戦争と平和―徴兵制はなぜ再び必要とされているのか―』(新潮社)、『政治を選ぶ力』(橋下徹共著/文春新書)、『シビリアンの戦争 デモクラシーが攻撃的になるとき』(岩波書店)など著作多数。
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