ヨシダ ナギさんコラム - 第2回
私にしか撮れない写真を続けていきたい
前回のコラムでは、アフリカの少数民族との出会いに始まり、私がなぜアフリカに惹かれるのか、その理由をお伝えしました。私はもともと写真家になりたかったわけではありません。さまざまな縁や偶然が重なって、たまたま写真家として活動できるようになったのです。今回は、そんな私にとっての写真家という仕事に対しての思いをお伝えします。
いろいろな仕事を経て、アフリカへの旅行費用を稼ぐために働く日々
私は今でこそ写真家を名乗っていますが、もともと写真やカメラに興味があったわけではありません。10代のころはグラビアアイドルの仕事をしていました。始めたきっかけは、家に引きこもっていたときに、インターネットの掲示板で知り合った編集者がつくってくれたホームページです。そこに自分で書いた物語を顔写真付きで載せていて、それがきっかけで事務所からスカウトされたんです。でも、その仕事は、引っ込み思案な私には向いていませんでした。
そこであるとき、知り合いのカメラマンに「今の仕事をやめたい」と相談したら、「絵が得意なんだから、イラストレーターをやってみたら?」と勧められたんです。主に海外からイラストレーターとして仕事をいただけるようになったのですが、私は指示に従ったイラストを描くことが、めちゃくちゃ苦手。生きるためのお金は必要なので続けてはみましたが、ほどなくしてスランプに陥ってしまいました。その状況をなんとか打破したくて、アフリカに通い出したようなところもあるんです。
いずれにしろ20代のころの生活は、アフリカへ行く資金を貯めるためにあったようなものです。イラストレーターの仕事で稼いだお金は、全てアフリカ旅行に注ぎ込みました。資金が足りないときは、一時的に銀座のスナックでバイトをしたりもしました。そこのお客さんからは、「アフリカ行きが決まると出勤してくる子」とよく言われていましたね(笑)。
海外で最初に写真を撮ったのは21歳くらいのとき。親がフィリピンに行く機会があって、一緒について行ったんです。そのときに安価な一眼レフのカメラを買って持って行きました。現地の子どもたちの笑顔が素敵だったので撮らせてもらった写真にいい反響をいただけたのです。正直なところ、「自分がいいと思ったものの写真で稼げたら、イラストレーターより楽でいいかも」と思っていました。
その後、ブログに載せていたアフリカの少数民族の写真が注目され、今の仕事を始めるようになりました。もし、インターネットがなかったら私が写真家を名乗っていることはなかったでしょう。そう考えると、自分がやっていることを何かしらのカタチにして世に発信することは、とても大事だと思います。現代ではインターネットを介せば、誰でも簡単にそれができる。ニッチな価値観やセンスにも共感、評価してくれる人がどこかにいる。リアルではなかなか出会えない人とも知り合え、それが一生の仕事につながることもあります。私自身がまさにそうでした。
アフリカの少数民族をかっこよく撮りたいという気持ちは誰にも負けない
写真に関しては完全に独学です。たいした技術はないし、いまだにわからない専門用語もあります。そんな私の写真が評価していただけたのは、アフリカの少数民族への熱量が人より少しだけ高かったことに尽きます。私にとってアフリカの少数民族は、子どものころからの憧れのヒーローそのもので、心底かっこいい人たちです。そんな彼らをかっこよく撮り、その魅力を多くの人に伝えたい。その気持ちだけは、負けないという自負があります。だからこそ、彼らがかっこよく写る背景やポーズを考えるんです。
私の写真は、ただただアフリカの少数民族のかっこよさを伝えたいとの気持ちで始めただけものです。最初のうちは「大好きなアフリカに行って写真を撮ることでお金がもらえるなんてラッキー」と喜んでいましたが、一度仕事として撮影を請け負えば、責任が生じます。「何も撮れなかった」では済みませんし、それなりにプレッシャーも感じます。そのうちだんだん写真撮影が重荷になり、無邪気に喜べなくなってきました。何よりせっかくアフリカに行っても、少数民族の人との時間を存分に楽しめないことが、つらくなってきたんです。
さらに写真家としても、新たな被写体を撮り、次のステージへ進むことが求められるようになってきました。撮りたいものが少数民族以外になかった私の頭をよぎったのが、ドラァグクイーンだったんです。そうして、ニューヨークとパリで彼ら、彼女たちの撮影を行いました。
最初はまったく知らない世界だったので不安でしたが、「世の中には私の知らないところで、こんなにかっこいい人がいるんだ」という発見があって、あらためて人間への興味が湧いたんです。
私はもともと好奇心旺盛なタイプではありません。なるべく楽をしたいほうなので、放っておけば新しいことになど挑戦せず、いつまでも狭い世界に閉じこもっている傾向があります。でも写真家の仕事をしていると、新しい世界を知ることができる。コロナ禍に陥った3年間のうち2年間は、家でダラダラしてても文句を言われないのでいいなぁと思っていましたが、3年目に「そろそろ撮影したいな」という思いが湧いてきたところです。
自分にふさわしくない仕事を受けることで周りの人に迷惑をかけてしまう
ありがたいことに、ちょこちょこと撮影のオファーをいただきます。でも私は、「私が撮らないといけない仕事」しか受けないようにしています。アフリカの人をかっこよく撮ることに関しては負けませんが、風景写真などは私よりうまい人がたくさんいます。ですからそのような写真は、それにふさわしい人にお願いしたほうが絶対にいいと思うんです。
私は自分の苦手なことやダメなところ、弱いところはよくわかっています。わざわざ向いていないフィールドで勝負する気はありません。ある意味、私はすごくかっこつけで負けず嫌いなんです。だから、「ダメなヨシダナギ」を世間に晒したくないんですね(笑)。「ヨシダナギって風景写真を撮らせたらめちゃくちゃ下手だよね」と言われるのは嫌なんです。
自分にふさわしくない仕事を断るもう一つの理由は、これまで多くのアフリカの少数民族や関係者たちが、難しい条件や大変な状況のなかで協力してくれたおかげで、私なりには良い作品が撮らせてもらえているということです。ここで下手な写真を撮ってしまえば、私に協力してきてくれたモデルや関係者の方たちにも泥を塗ってしまう可能性がある。私には多くの人の協力によって築きあげられた“ヨシダナギ”を維持する責任があります。つまり“ヨシダナギ”は、私一人のものではないとも言えるかもしれません。
私は未来のことはあまり考えないので、仕事に対する今後のビジョンもとくにありません。アフリカ以外の少数民族はこれまでも撮ってきましたが、アジアの少数民族の写真なんかもトライしてみたいと考えています。昔は、自分と姿かたちが違う人に惹かれてきましたが、アジアの人たちは日本人とフォルムは近いけど、文化的な違いがたくさんあるはずなので、その辺りを楽しんでみたい。
今は世界中の少数民族の姿や文化が、近代化によってどんどん変わり、失われつつあります。だから今の姿をこの目で見ておきたいという気持ちもあります。
そんなふうに、私がやりたいことと仕事がマッチしている間は、写真家は続けていきたいと思っています。もしそうではなくなったとき、自分は何をして生きていくのか。それはそのときになってみないとわかりません。ただ仮にそうなったとしても、アフリカには自費で通い続けるのだろうと思っています。
PROFILE
ヨシダ ナギ(ヨシダ ナギ)
フォトグラファー
1986年生まれ。独学で写真を学び、アフリカやアマゾンをはじめとする諸所の少数民族や、世界中のドラァグクイーンを撮影、発表。唯一無二の色彩と直感的な生き方が評価され、2017年日経ビジネス誌で「次代を創る100人」へ選出。同年、講談社出版文化賞 写真賞を受賞。以降、国内外での撮影やディレクションなどを多く手がける。
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