藤村 麻紀さんコラム - 第5回
人生は思い通り!
こんにちは!藤村麻紀です。
最近すっかり秋らしくなってきましたね!
朝ベランダの窓を開けると、もう肌寒いくらいです。
さて、朝起きた時、どんな気持ちで目が覚めますか?
「あぁ……今日も朝が来てもた……動きたくない……うぅ」
はい、これ数年前の私です(笑)。
朝起きた時とか言いながら、これ全然朝やなかったのは内緒ですが、なんせエネルギー低いですね!
とても豊かなこの国に住んでいると、なんだか自分がどれほど恵まれているかをすぐ忘れてしまうのですよね。
屋根があって、生活できる家があるだけで世界の人口全体の23%よりはきっと恵まれていると言えるやろし、銀行にお金があって、財布にお金が入っていて、家のどこかに小銭が転がっている人は、世界の中で一番裕福な8%に入るらしいですよ!
経済面だけではないですが、我々日本人は、この時代にこの国に生まれたというだけで、実はとっても恵まれているのかもしれませんね。もしかしたら、こうやって目が覚めることができたこと自体、本当はとてもありがたいことなのかもしれません。
最近、眠る前と起きた時に、「感謝すること」を最低10個は数えるようにしています。あ、もちろん忘れることもありますよ!酔っ払って帰ってきてそのまま倒れるとか、目覚ましに気づかずに起きたら出かける時間だったとかね(笑)。
まぁできるだけやってるわけですが、これがね、もう最初全然思いつかなくてね。あぁもう、なんて傲慢な(笑)。でも数えてみると、それこそもうとてもやないけど10個なんかでは収まりつかないほど無限にあるものなのですね。ありがたいなぁと、なんて恵まれているんだろう、世界は本当に素晴らしいと、心から思うのです。
よく思うことに、「私の人生は、すべて私の思い通り!」というのがあります。
たとえ誰かや何かに強制されてイヤイヤ選択したのだとしても、それが本当に行きたかった道ではなかったのだとしても、そしてそれが自分の望む結果にならなかったとしても、結局のところ最終的にそこへ行くことを決めたのは自分。他の誰かが自分の体を操って、意識がないままに連れて行かれたのでもなければ、背中に銃やナイフを突きつけられて動かされたわけでもないのですよね。
だから、どんなことがあったとしても、そこに対して私がどう感じてどう意味付けをするのか、そしてどう行動するのかは、あくまでも「私の」責任だということなのです。私はそれを「責任者として生きる」と呼んでいます。
もちろんね、自分の意思ではどうにもならないことも、たくさん起こります。それはどうすることもできない。でもそれが起きた時、そこで自分がどう反応するのか。それを選ぶことはできるんです。どうしようもない状況の中で、それでもその中でわずか1ミリでも、自分がする反応を自分の意思で選ぶこと、それは実は誰にでもできる。その反応「Response」に対しての能力「ability」、つまり「Responsibility=責任」を取ることができるということ、それが「責任者として生きる」です。
ちなみにその反対は何かというと、「被害者」です。自分の周りに起きる、自分の望むのとは違う事柄に対して、周りの人や物事、出来事、環境、社会、文化、あらゆるもののせいにしてしまう。だって仕方ないやんか、〇〇が〇〇やってんから!そしてたいていの場合、それは本当に誰が聞いても「仕方ないよね」、と言ってもらえるような、「正当な言い訳」だったりするのですね。恐ろしいことにそれは自分すら納得させてしまうことができるのです。だから、いつまでもほんまに欲しい結果が手に入らなかったりするのですよねー、あぁ書いてて自分が痛い(笑)。
生きてると、色んなことが起きますね。
そして、自分ではどうしようもないことって、やっぱり起きることだってあるのです。
私は私の人生をとても愛しているし、どんな出来事も、最終的には私の幸せにつながることだけだと信じているのですよ。前にも書いたように、もし起きたのが嬉しい、幸せな出来事ではない場合、それは私の目を覚まさせるための出来事。だから何から目覚めなければいけないのか、気づく必要があるのです。私は自分のことが大好きだし、感情のコントロールもできる。でももちろん最初からそうやったわけではないし、いつも完璧にできるかと言えば当然そんなこともありません。
かつてとても愛した人がいました。
毎月大阪と東京で10本くらいはライブをしていたし、週に3回は准教授として大学でも教えていた私はもちろん、彼も早朝から夜遅くまで毎日働いていて、なんなら土日も休日返上でトラブル処理に出勤したりするくらい仕事熱心な人でした。彼の仕事が忙しすぎて全然時間が作れなくて、睡眠時間すら平日は平均3,4時間くらいとめちゃくちゃ短くて、もうそんなブラックな会社辞めて私の仕事を手伝ってくれたらえぇやん、うちの会社で雇うから(会社なんてなかったけど)、なんて話していたりしたものです。私たちは毎日幸せに生きていたし、もちろん日々を生きる上で些細なことは色々あるけれども、それでも大切な人と一緒に穏やかに何気なく過ぎていく毎日は、未来への希望と共にずっと続くような、そんな気がしていたのです。
発覚した時は、すでに末期でした。
そしてわずか1年で、帰らぬ人となりました。
なんで、どうして、あんなに元気やったのに。
ちょっと胃が痛いって、そう言ってただけやった。
会社で受診する健康診断の日、その日も部下のトラブル処理に駆り出されて、結局検診を受けなかった。
別日を予約し直すように、どうしてあの時もっと強く言わなかったんや、間に合ったかもしれないのに。
誰のせいでもないことはわかっているけど、この時ばかりはどうしようもなかった。
心配させたくなくて、憔悴した自分を見せたくなくて外では元気を装うものの、疲れ切って眠っては変な時間に起きて、そのたびに夢かなと思い、あぁそうか、私はもうここで1人なんだ、もう帰ってこないんだと気づいては絶望し、彼の抜け殻たちの処分もできず、整理しては崩れ、私以外のすべてが平常に戻ってからも一人、ずっと取り残されている。そんな日々が何日も続きました。
私は何に気づく必要があったのだろう。神さまがいるかなんてわからないけど、もしいるとするならば、私に何をさせようとしているんだろう。この試練は、私に何を学べと言っているんだろう。私が欲しい感情は、私がそうでありたい私は、どんな私なんだろう。
長い時間が過ぎて結局私が学んだことは、私は表現する人なんだということでした。そんな経験をした私だから、きっと誰かをより深く癒やしていける。大丈夫、大丈夫だよ、と頭をなでて、抱き締めてあげられる。きっと、誰かの悲しみに寄り添うことができる。
あの時自分の感情にどっぷりと溺れ、そしてそこからまた、新たに手に入れるべき感情を選ぶ努力を必死でした自分。こうやって2年が経って、ようやく笑顔を浮かべて話せるようになった私は、そんな私をやはり愛おしいと思うのです。そして、自分が本当にしたいことを、本当に本当にしたいことを、しないといけないのだと思うのです。先延ばしにしてはいけない。いつかやろう、そんな「いつか」はもしかしたら永遠に来ない。本当に自分がしたいことを、今、自分のために。誰のせいにもせずに。
だから、周囲の反対を押し切って、准教授として勤務していた大学を辞め、自分のスクールを立ち上げたのです。だから、私のやりたいことには、「がんの撲滅に貢献する」が入っているのです。病院に歌いに行きたい。自分が歌うだけやなくて、入院中の人も、治療中の人も、家族も、一緒に歌いたい。私は、がんは治る病気だと信じているのです。
私の人生は、すべて私の思い通り。そして、どんな出来事も、最終的には私の幸せにつながること。自分ではコントロールできないこともあるけど、でもその中でどうするか、それを決めるのは私。
毎日を、幸せに過ごしたいから。与えられている命を、きちんと使いたいから。
まず、目が覚めたことに感謝。元気で健康であること、目が見えること、動ける身体があること。屋根のある家に住んでいること。私を愛して応援してくれるたくさんの人がいること。両親や家族がいること。守りたい弟子たちや、大好きな仲間がたくさんいること。言葉が話せること、字が読めること、今日も仕事があること。美味しいご飯が食べられること、お財布にお金が入ってること。歌えること。心が嬉しいと感じること。
ありがたいことがたくさんやなぁと、ほんまに思います。
「よし、今日も一日楽しむぞー!!」
そんな気持ちで動き始められたら、めっちゃ楽しそうですよね。
人生は思い通り!
今日も一日、楽しんでいきましょう!
何かあなたのお役に立てたら嬉しいです。
また次回、お会いしましょう!
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PROFILE
藤村 麻紀(フジムラ マキ)
ジャズシンガー
東京都生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業、米国スタンフォード大学留学。2005年「With Love」(梅田タワーレコードジャズ部門1位記録)でのメジャーデビュー以降、5枚のリーダーアルバム含む計9枚のCDをリリース。聴く者の心に深く語りかけるようなその歌は「ジャズボーカル界を変革する、異次元からのボーカリスト」と言われ、老若男女、さらに国籍を問わず幅広く支持されている。また、末期がん患者とその家族を対象にした病院へのボランティア活動等、社会への貢献活動も広く行っている。日本ゴスペル音楽協会認定指導員。元大阪芸術大学演奏学科ポピュラー音楽コース准教授。
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