鈴村 拓也さんコラム - 第3回
目標を持ち続け、挑戦の心を失わない
フットサルの日本代表や海外リーグで活躍し、昨年からはフットサルチーム「デウソン神戸」の監督としてチームを率いている鈴村拓也。5年前の選手時代には上咽頭がんと診断され、5回の抗がん剤投与と35回の放射線治療を受けた。しかし、今ではほぼ完治し、闘病生活は過去のこととなりつつある。鈴村ががんを乗り越えるために心掛けてきたこととは何だったのだろうか。
日々の小さな目標が闘病の大きな支えに
鈴村が上咽頭がんの宣告を受けたのは2012年12月のこと。当時、鈴村はデウソン神戸の選手として活躍を見せていた。
「まさか自分が……と思いましたが、実は一番怖かったのは宣告を受けたときより、その前の検査中でした。自分がどんな病気か分からない状況のときが一番不安だったんです。がんと宣告されて落ち込みましたが、でも『治して復帰する』という目標ができた。そう考えることで、逆に前向きな気持ちになれました」
その後、鈴村は治療のための入院をすぐに決め、競技場でファンを前に「しばらく治療に専念するが、必ず復帰する」と宣言した。
「みんなの前で宣言した以上、戻らない訳にはいかない。あの宣言は自分を鼓舞する意味もありました。これから始まる治療にまったく不安がなかった訳ではありませんが、『がんを治して、もう一度ピッチでプレーしたい』という目標があったからこそ、治療に前向きに取り組むことができました」
5回の抗がん剤投与と35回の放射線治療は、決して楽なものではなかった。そこで鈴村は毎日、小さな目標を立て、それを達成することを励みにしたという。
「『妻に対してイライラしないようにしよう』『子どもがいるときは笑顔でいよう』『明日は今日より少しでも多く食事を摂ろう』……毎日、そんな小さな目標を立てて、夜にはそれができたかどうかを振り返るようにしました。そうすると昨日より今日、今日より明日と、自分が前進している実感を得ることができます。小さな目標を達成することの喜びの積み重ねが入院生活の大きな支えになりました」
自分が一番怖いのは、目標を見失うこと
鈴村はもともとサッカー選手で、高校卒業後にJリーグの「ヴィッセル神戸」に入団。しかし2年で戦力外通告され、解雇されてしまう。「目標を持つこと」の大切さを実感したのはこのときだという。
「それまで当たり前にプレーできていたサッカーができなくなって、目の前が真っ暗になりました。そのときに先が見えないこと、目標を持てないことのつらさを痛感したんです。それ以来、僕にとって一番怖いことは、目標を見失うことなんです」
「がんを治してピッチに立つ」そんな目標を心に定めた鈴村は、手術後9カ月でピッチに復帰することができた。その後、2017年2月に引退を発表するまで、がんを患ったとは思えない気迫に満ちたプレーでファンを沸かせた。
「ただ『復帰できてよかった』だけではなく、その後もプレーし続け、ほかの選手と同じように活躍することが大事だと考えていました。ありがたいことに、がんになってから注目していただく機会も増えました。僕の姿を見るためにスタジアムに足を運んでもらいたい。『がんになってもこんなふうに治せるんだ』『社会で活躍できるんだ』と多くの人々に知ってもらいたい。そして、世の中のがんに対するイメージを変えたい。そんな思いが、僕ががんと闘う上で大きな力になりました」
今の自分の状況から逃げず、きちんと向き合うこと
今やがんは、早期に発見して適切な治療をすれば治る時代にもなりつつある。最近では鈴村のようにがんを治し、社会で活躍している人も多くいる。
「今やがんになったからといって、いたずらに恐れたり不安になったりする必要はありません。ただ、発見が早いほど治療の選択肢は広がりますし、根治の確率も高くなります。だからこそ、日ごろから検査には定期的に行くことが大切です。その結果、何もなければそれでいい訳ですから」
今は日本人の二人に一人はがんになるともいわれている。いつ、誰がなってもおかしくない。それだけに日ごろからの備えが大切だという。
「がんとしっかり向き合うには、治療費のことや家族の生活のことなど、心配ごとをできる限り減らしておきたいですね。最近は仕事をしながら治療をすることも可能になってきましたが、場合によっては仕事を休まなくてはならないこともあると思います。経済的な不安に悩まされないよう、がん保険に入っておくことも大事だと思います」
そう語る鈴村は、昨年4月にデウソン神戸の監督に就任し、新たな挑戦が始まったばかり。今年から2部リーグで戦うことになり、正念場の一年となる。
「一つひとつの課題を乗り越え、まずは1部リーグへの昇格、そしてベスト8を目指します。デウソン神戸を大勢の人が競技場に見に行きたくなる魅力あるチームにし、フットサル界をもっともっと盛り上げていきたいです。僕はフットサル、またデウソン神戸というチームがあったからこそ、がんを乗り越えることができました。これからは全力でその恩返しをしていきます」
鈴村はどのような試練に直面しても、新たな目標を定め、挑戦を続けていく。
「人生には悩んだり、落ち込んだり、苦しい時期もあります。そんなとき、ほかの人をうらやんだり、ほかの人と比べたりしないことが大切です。今の自分の状況から逃げず、きちんと向き合うことでしか状況は打開できません。どんなときも目標を見失わず、挑戦を続けていけば、必ず未来は開けると僕は信じています」
その確信は、アスリートとしての試練、またがんを乗り越えてきた自身の経験から生まれたものなのだろう。
PROFILE
鈴村 拓也(スズムラ タクヤ)
フットサルクラブ デウソン神戸監督
1978年愛知県生まれ。小学校からサッカーを始め、2000年からはフットサルを始める。2009年にスペインから帰国し、デウソン神戸に入団。2012年12月9日の試合後、「上咽頭がん」と診断されたことを明らかにし、治療に専念。抗がん剤投与や放射線治療などを行い、2013年の5月に退院。6月からデウソン神戸の練習を再開し、9月22日の湘南ベルマーレ戦で9カ月ぶりに戦線復帰を果たす。2014年9月27日の府中アスレティックFC戦で、Fリーグ史上88人目のFリーグ通算100試合出場を達成。2016年のシーズン終了をもって現役を引退し、2017年シーズンよりデウソン神戸の監督に就任した。
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