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大森 優斗さんコラム - 第2回

大切なのは「一緒にいること」。元アメフト日本代表の闘病を支えたもの

大森優斗はアメフト日本代表として活躍し、名門チーム「アサヒビールシルバースター」入団3年目からは副将を任される予定だった。しかし、骨のがんである「骨肉腫」の影響により惜しくも現役を引退。26歳の現在はコーチを務めている。大森は発症当時のことをこう語る。

「競技上、膝に違和感があるのは日常茶飯事で、特に深く考えていなかった」

共に過ごし、「一人で考え込む時間」を少なくしてくれた家族や仲間たち

しかし膝の痛みは弱まるどころか徐々に強まり、大森は2016年1月にまず整形外科でMRIとレントゲンを撮る。それでも痛みの原因は判明せず、そのときに紹介されたのが「がん研有明病院」だった。

「病院名からして、『もしかしたら俺はがんなのか?』と、嫌でも思わざるを得なかった。そこでは切開生検(組織の一部を採取し、顕微鏡を用いて行う生体組織診断)をして、膝にある腫瘍が良性か悪性か検査をしてもらって。手術が終わり目が覚めて、父親から『悪性だった』と言われたとき、自分はがんであるという事実が重くのしかかってきた」

大森はがんの告知を受けた後、治療のためにすぐに入院を開始。入院中はチームのコーチ陣や仲間、そして何より家族の支えがあったという。大森は治療中の苦しみを振り返りつつ、周囲のサポートに強く感謝する。

「入院後は抗がん剤を打ち、副作用と戦い、同じサイクルをずっと繰り返す。一人で考え込んでしまうことも増え、だんだんと心が折れそうになる。でも、そんなときに家族は 頻繁に病院に来てくれて、僕が一人になる時間を少なくしてくれた。東京に住んでいる父親だけでなく、遠方に住む他の家族もわざわざ来てくれた。何もしゃべらなくても、隣に居てくれるだけで気持ちが楽になって……。一人で考え込みすぎず、ネガティブにならないように支えてくれた家族には本当に感謝している」

「チームの仲間が見舞いに来てくれたのもありがたかった。普段はあまりしゃべらない監督(阿部敏彰監督)も入院当日の深夜に駆けつけてくれて。皆が居てくれたからこそ、アメフトへの気持ちが途切れずに、今のコーチの仕事への情熱につながったと思う」

過去の試合映像を観て、自分自身を鼓舞した

「僕は足のひざが骨肉腫になったが、自分の足はあるし、頑張れば走ることもできる。恵まれているほうだと思う」と、抗がん剤治療と右膝の人工関節手術を終えた大森は言う。ただ、スポーツマンとして心身ともにタフな大森にとっても、闘病生活は決して楽ではないチャレンジだった。

「『がんを治そう』という強い意志はあっても、それと同じくらい、『また再発したらどうしよう』というネガティブな気持ちがずっと付きまとう。そっちに引き込まれると、何を考えても嫌になったり、何をしてもうまくいかないように感じてしまったり……」

「あと、抗がん剤の副作用の中でも、何を食べてもおいしく感じられないことが特に辛かった。白米のご飯を食べていても、お米の先っぽが舌にチクチク当たる感じがして気持ち悪い。それに、歯磨きをした後のような強い刺激もあった」

このような状況を乗り越えるために、大森が意識して取り入れたのは至ってシンプルなことだった。それは、「楽しいことを考える」こと。

「過去に自分が活躍したアメフトの試合映像をよく観ていた。そのときの楽しかった経験や頑張った経験、自分が輝きを見せた瞬間を思い出すことが、自分自身を鼓舞するきっかけになった。例えば、僕が今のチームに入団してからのベストゲームのこと。チームMVPに選出されたときの興奮がよみがえると、辛い闘病を前向きに乗り越えたいという気持ちにつながっていった。それが自分にとって一番のリラクゼーションになり、いいリフレッシュになった」

闘病を経て、「一緒にいること」の大切さを知った

大森には、がんになったからこその気付きと使命感もあるという。

「闘病中は、他のがん患者の人たちが病気をどう乗り越えたのかを知りたくても、患者自身が発信している情報は少なく、闘病生活の参考にしたくてもできない状況があった。『がんに対して正しい情報を得られていないのでは?』という不安が続くと、頭がすっきりしないし、どうしても後ろ向きに考えやすくなる」

だからこそ大森は今、ネットメディアやテレビの取材に応じ、自らの闘病の経験を発信している。最初にがんの告知を受けた直後の大森は、身近な人以外にはがんのことを隠して治療しようと考えたという。しかし、父・高清氏がSNSで息子のがんのことを公表。最初は父の行動に憤慨した大森だが、結果的にはそれがプラスになったようだ。

「がんのことを隠そうとすると、一人で抱え込みやすくなり、出口が見えなくなってしまうことがある。だからこそ僕は、あえて公表して、支えてもらうことが一番大事なことだと考えるようになった。がんを公表することは、一人ではなく、みんなで戦う体制を作ることにつながる。自分も公表したことで、広範囲の人から『頑張れよ』とメッセージをもらうことができた。そして、その人たちに元気な姿を見せたいという気持ちが闘病のモチベーションになっている」

「僕自身が闘病の経験を発信していくことで、僕と同じ病気になった人に対しても、『こんな風に闘病している人がいるんだ』と支えになればうれしい」

大森は病気を経て、周りの人との関わり方や距離感にも変化があったという。

「闘病中、家族と一緒に長い時間を過ごせたことが、病気のことでネガティブに考えすぎなかった一番大きな理由だと強く思う。その経験から、誰かが不安を感じているときは、一緒にいてあげることが何よりも大切なのだと学んだ。他人に対してより親身になりたい、誰かの支えになりたいと考えるようになったのは、がんを経たからこそだと思う」

「大切なのは、一緒にいること」―大森は重い病気と向き合ったからこそ、今をたくましく生き、同じ病気に悩む人々を励まそうとしている。

PROFILE

大森 優斗

大森 優斗(オオモリ ユウト)

社会人アメフト アサヒビールシルバースター DBコーチ

1992年大阪府生まれ。大阪の関西大倉高等学校からアメリカンフットボールを始め、進学した関西学院大学では3度の日本一を経験。2014年3月にアメリカンフットボール大学世界選手権に選抜され、5月に出場。同年4月にアサヒフードアンドヘルスケア(株)(現アサヒグループ食品(株))に入社と同時にアサヒビールシルバースターに入部し、2015年には社会人アメリカンフットボールのオールXリーグに選出される。現在、アサヒビールシルバースターのディフェンスコーチという立場でアメリカンフットボールに携わっている。

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