小黒 一正さんコラム - 第2回
進む円安と原油高に日銀はどう対処するか
第1回のコラムで説明したとおり、日本財政は極めて厳しい状態にあるが、政治家や国民の危機感は薄い。この理由の一つには、日銀が「異次元」の金融政策で大量に国債を買い取り、長期金利を極めて低い水準に抑制できていることの影響が大きい。その結果、国債の利回りが1%程度(発行済み国債の加重平均金利)で済み、約1,000兆円もの政府債務の利払い費が約10兆円に抑制できている。
しかしながら、未来永劫、金融政策で長期金利を低い水準に抑制できるとは限らない。金利を低水準に抑制できているのは、2%の物価目標を掲げているのにもかかわらず、インフレ(物価上昇)が顕在化しないためである。
では、なぜ、日本でインフレが顕在化しないのか。まず、重要なファクトの一つは、日本の物価は構造的な問題であり、大規模な金融政策のみで2%の物価目標を達成することは難しいという視点だ。例えば、過去のインフレ率(消費者物価指数)の推移を見ると、1989年は消費税の導入が物価を1.4%ポイントも押し上げているものの、日本中の景気が過熱したバブル期(1986年~1989年)においても、その年平均インフレ率は0.6%に過ぎなかったためである。また、1990年・91年は湾岸戦争、97年は消費税増税、2008年は原油価格高騰の影響があり、これらの要因を除くと、平時にインフレ率が2%を超えたのは1985年が最後である。
では、日本の物価で何が構造的な問題なのか。それは、アメリカと日本の物価上昇率の違いを比較すると理解できる。このため、下表は、2019年8月における日米の物価上昇率の中身を比較したものである。下表の左側が「財(モノ)全体」の物価上昇率、右側が「サービス全体」の物価上昇率を表す。
これから何が読み取れるのか。まず、左側(財(モノ)全体の物価上昇率)のうち、テレビ(2)のほか、電話機器等(4)や玩具(7)・婦人洋服(8)・ガソリン(11)は、アメリカの方がデフレだという事実である。このため、財(モノ)全体では、日本が0.3%の物価上昇率であるにもかかわらず、アメリカは0.2%しか物価が上昇していない。
しかしながら、財(モノ)全体とサービス全体を考慮した物価上昇率は異なる。下表の右下には、消費者物価指数の「総合」の物価上昇率を掲載しているが、この物価上昇率ではアメリカは1.7%の物価上昇率であるのに対し、日本は0.3%しか物価が上昇していない。
この「総合」から、食品やエネルギーの影響を除いた、「総合(除く食品・エネルギー)」の物価上昇率でも、アメリカが2.4%であるのに対し、日本は0.6%しかない。
この原因は単純で、下表の右側のとおり、サービス全体の物価上昇率において、アメリカが2.7%も物価が上昇しているにもかかわらず、日本は0.2%しか上昇していないためである。レストランでの外食(15)・洗濯代(16)・理髪料(17)のほか、鉄道運賃(21)や住居家賃(27)・帰属家賃(28)の影響もあるが、筆者が最も重要だと考えるのは、政府による価格統制の影響である。
特に重要なのは、上下水道(22)・保育所保育料(23)・介護料(24)・大学授業料(25)・病院サービス(26)である。アメリカと異なり、日本ではこれらの領域は政府の価格統制が強い。
例えば、医療では診療報酬制度が存在し、原則1点10円で、公的保険に収載されている全ての診療・治療行為などについて点数(公定価格)が定められている。介護でも介護報酬の制度があり、国立大学の授業料も政府が上限を定めている。この結果、日本における上下水道(22)・保育所保育料(23)・介護料(24)・大学授業料(25)・病院サービス(26)の物価上昇率は0.5%未満となっており、日本のサービス全体の物価上昇率は極めて低い水準に留まっている。このファクトから分かることは、日本の低インフレやデフレは金融政策の問題ではなく、政府の価格統制などによる構造的な問題であるということだ。
資料:総務省「消費者物価指数(2015年基準)」、アメリカ労働統計局「Consumer Price Index」をもとに筆者作成
しかしながら、アメリカや欧州のコロナ問題が収束しつつある今、「状況が変化した」と思い始めている。ポイントは、ドル高円安と原油高の進行だ。例えば、アメリカでは、ワクチン接種が進み、コロナ禍で沈静化していた経済活動が急速に再開し、インフレが加速し始めている。アメリカの中央銀行であるFRBもコロナ禍で拡張していた大規模な金融緩和を縮小するのではないか、という憶測も広がり、長期金利に上昇圧力がかかっている。
他方、日銀は「異次元」の金融緩和で長期金利を概ねゼロに誘導しているため、アメリカと日本の金利ギャップが拡大し、ドル高円安が進行している。
実際、2020年12月は1ドル=103円程度であったが、2021年11月には1ドル=113円~114円程度まで円安が進んでいる。1ドル=114円台となるのは、2018年11月以来、約3年ぶりである。
問題は、この円安・原油高が一時的な現象か否かである。仮にこの現象が数年継続する問題の場合、必ず日本の国内物価に跳ね返ってくる。そのとき、日銀は大きな問題に直面する可能性がある。
なぜなら、物価上昇を抑制するために日銀が金融引締めを行えば、どうしても長期金利の上昇を許容する必要があるが、巨額の政府債務が存在するなか、それは利払い費の増加を通じて財政を直撃するためである。
他方、財政を救済するため、日銀が国債購入を通じて長期金利の上昇抑制を優先し、その結果、貨幣供給の拡大を許容すると、日銀は物価の安定を放棄するしかない。
つまり、日銀は直接責任を問われる実際の物価上昇の抑制か、財政の救済か、二者択一を迫られる。この関係で、例えば、シカゴ大学のジョン・コクラン教授は数年前の論文(2014年)において、「歴史的にみると、インフレは貨幣的現象と言うよりも財政的現象である」という主張をしている。
いずれにせよ、政府と日銀を一体で考えたとき、日銀が国債を保有していても、統合債務の負債コストは基本的に変わらないという視点の方が重要である。現在は金利が概ねゼロのために負債コストが顕在化していないが、デフレを脱却したとき、財政赤字を無コストでファイナンス可能な状況は完全に終了し、巨額な債務コストが再び顕在化するわけで、金融政策の出口や限界を考慮する場合、異次元の金融緩和リスクや将来コストを十分に考える必要がある。円安と原油高が進行する今、深刻な問題が顕在化する前に、財政再建の目途をつけておく必要があろう。
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PROFILE
小黒 一正(オグロ カズマサ)
法政大学経済学部教授
京都大学理学部卒業、一橋大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学博士)。1997年大蔵省(現財務省)入省後、関税局監視課総括補佐、財務省財務総合政策研究所主任研究官、一橋大学経済研究所准教授などを経て、2015年から現職。財務省財務総合政策研究所上席客員研究員、経済産業研究所コンサルティングフェロー、会計検査院特別調査職、日本財政学会理事ほか多数。主な著書に、『財政危機の深層―増税・年金・赤字国債を問う』(単著/NHK出版新書)、『薬価の経済学』(共著/日本経済新聞出版社)、『日本経済の再構築』(単著/日本経済新聞出版社)等がある。
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