小島 武仁さんコラム - 第3回
誰もがハッピーになれる社会へ
このコラムでは2回にわたって、マッチング理論とはそもそもどのようなものなのか、それによってどのような社会課題を解決できるのか。さらに現在、日本でも始まっている社会実装の事例について紹介してきました。最終回では、今後マッチング理論が応用できそうな分野やAIとの関係、今後の展望について私の意見をお伝えします。
膨大な労力とコストがかかっている日本の就職活動を変えられないか
人と人、人とモノや組織を最適なかたちで結びつけるマッチング理論は、社会のさまざまな分野に応用できます。現在の不合理で無駄やストレスの多いしくみを、みんながハッピーになれるものへと改善することができます。そういった意味で、マッチング理論によって改革すべき筆頭は、日本の新卒就職活動かもしれません。
現在、日本の大学生は就職活動のために膨大な労力を費やしており、本来であれば学問に専念すべき貴重な大学生活を犠牲にしています。企業側も新卒採用のために膨大な労力やコストを費やしています。青田買いなどの過度な競争、内定辞退などのトラブルもよく起きています。
このような問題も、マッチング理論に基づく仕組みを導入することで、解決できる可能性は大いにあると私は考えています。とはいえ、現代の日本の新卒市場はすでに巨大マーケットになっており、膨大なステークホルダーが存在します。その仕組みを抜本的に変えることは、現実的には非常に難しいことだとも感じています。
そこでまずやるべきことは、苦労して入った会社をすぐに辞めてしまうのを防ぐこと。そのために私たちは、企業がマッチング理論に基づいて適切な配属をするための支援に取り組んでいます。もう一つ、大卒の前に高卒の就職市場から改革していくことが現実的だと考えています。現在、日本の多くの都道府県で、高卒の就職は一人一社制が取られています。基本的に一人の高校生は、一つの企業にしか就職のための応募ができないのです。これは内定辞退を防ぐといった意味で、企業にとっては大きなメリットがあります。
一方で、本当はいろんな企業に興味があるのに、一社しか受けられない高校生にとっては不幸なしくみです。このような課題も、マッチング理論を導入することで改善できます。マッチングシステムなら、高校生が希望する会社を複数出しても最終的にアルゴリズムが最適な会社一社を決めてくれるので、内定辞退のような問題は起きません。そのうえで高校生の希望もよりかなえやすくなるでしょう。
機械学習型AIと組み合わせることで、より理想的なマッチングを実現
ところで今、世間ではChatGPTなどの生成AIが大きな注目を集めています。そこで、AIとマッチング理論の関係についても少し触れておきます。まず大前提として、AIという概念は幅広く、私が社会実装を進めているマッチングシステムも広い意味ではAIです。
AIには、人が与えたデータと明確なルールのもとで処理を行うルールベース型AIと、膨大なデータをもとにAI自体が処理のためのルールを見出していく機械学習型AIの二種類があります。マッチングアルゴリズムの実装においては、透明性の高いルールベース型AIが主流となっています。一方、多くのECサイトに搭載されているレコメンドシステムなどは、機械学習型のAIです。
機械学習型AIの良さは、人間が特定のルールを指定しなくても、AIが「こういうタイプの人にはこういう部署が向いている」と判断し、提示してくれることです。このような機械学習に基づくレコメンドシステムをマッチングアルゴリズムと組み合わせることで、マッチングの精度が飛躍的に向上する可能性があります。
現在のマッチングシステムでは、例えば配属支援の場合、社員は自分にとって一番いい配属先を正しく認識していることが前提条件になっています。とはいえ、新卒社員などの場合、自分に合った部署がわからないこともあるでしょうし、その人が希望している部署が必ずしもその人を幸せにする部署だとは限りません。
レコメンドシステムはこのような問題を解決したり、フォローしたりできる可能性があります。現状では機械学習型AIによるマッチングシステムを構築するのは難しいですが、レコメンド機能を組みこんだマッチングシステムについては今後、研究を進めていく価値は大いにあると考えています。
マッチング理論研究の裾野を広げ、日本から新しい社会のしくみを
これまでにもお伝えしてきたように、マッチング理論を含めたマーケットデザインの目的は、人々を幸せにする社会のしくみをつくることです。課題解決や社会実装を重視した、非常に実学の要素の強い学問です。課題解決の手段として、経済学や数学、コンピュータサイエンスを中心にさまざまなアイデアを使います。
例えば今、人気アーティストのライブチケット、レアなスニーカーなどが転売目的で購入され、必要な人の手に届かないといった問題があります。このような貴重な資源を適材適所に配分する手法としては、オークション理論が有効です。要は本来なら5万円払っても行きたい人がいるコンサートの価格が1万円に抑えられているため、転売屋が参入する余地が生まれるのです。そこにオークション形式を導入することで、払える人がいる値段まで価格を上げ、転売による旨味をなくしてしまうのです。これはまさに、市場原理に基づく需給調整を応用したやり方です。
また、コロナワクチンの接種予約で電話やアクセスが集中し、電話回線やサーバーがダウンしてしまう、といった問題が起きました。この場合は先着順にするのではなく、ある一定の枠で申し込みを受け入れたうえで、後から対象者を抽選で決めるという仕組みを導入することで、予約開始とともに電話やアクセスが集中することを防げます。このような仕組みを考えることも、マーケットデザインの役割です。
現在、私が東京大学マーケットデザインセンターの所長として、とくに力を入れているのが、マーケットデザインやマッチング理論の周知活動です。このコラムもその一つですが、マッチング理論を活用することで、世の中がどれだけよくなるか。それをもっともっと多くの人に知っていただきたいのです。
マッチング理論の社会実装には、多くの企業や自治体の協力が不可欠です。さまざまな専門をもったうえで社会実装に取り組む優秀な研究者の育成も必要です。そのためにも、もっともっと多くの人にマッチング理論やマーケットデザインに興味をもっていただきたいのです。そして誰もが幸せに生きられる、日本発の新しい社会のしくみを、みんなでつくりあげていきたいと思っています。
PROFILE
小島 武仁(コジマ フヒト)
東京大学大学院経済学研究科教授、東京大学マーケットデザインセンター センター長
1979年東京都生まれ。東京大学経済学部経済学科を卒業(卒業生総代)。ハーバード大学でPh.D.(経済学専攻)取得後、イェール大学コウルズ財団博士研究員、コロンビア大学経済学科客員助教授、スタンフォード大学経済学部教授を経て、2020年9月より現職。研究分野はマーケットデザイン、マッチング理論、ゲーム理論。学外においては、経済同友会代表幹事特別顧問、Econometric Society終身会員などを務める。
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