久光 重貴さんコラム - 第2回
共に前進する中で「笑顔の連鎖」が生まれる
[お悔やみ] 2020年12月19日、湘南ベルマーレフットサルクラブ所属の久光重貴さんが逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。
肺腺がんの治療を続けながら、湘南ベルマーレフットサルクラブに所属し、現役フットサル選手として活躍する久光重貴選手。自分ががんと闘うだけでなく、がんの啓発や小児がんの子どもたちを支援する活動にも取り組んでいる。そんな久光が大事にしているのが、「共に前進」「笑顔の連鎖」という二つの言葉。そこに込められた思いとはどんなものなのか。
「頑張れ!」という言葉を使わなくなった理由
久光は31歳のとき、肺腺がんが見つかった。医師から「根治は望めない」と言われたが、2014年にピッチへ復帰。現在も治療を続けながら、日々のトレーニングに励んでいる。
「僕が今、前を向いて頑張れているのは、たくさんの方々の応援があったからです。がんになったことで、『応援』の力の大きさを改めて実感しました。今度は僕が応援することで、誰かが前を向けるなら……、そんな思いでがんと闘う方を励ます活動を行うようになりました」
そう語る久光だが、患者に対して「頑張れ!」という言葉はあまり使わないそうだ。
「僕自身、これまでに多くの方から『頑張れ!』という言葉をかけてもらいました。非常にありがたく、うれしい言葉ですが、治療がつらいときに『頑張れ!』と言われると、『これ以上何を頑張ればいいんだろう?』といった気持ちにもなることもあります。そしてこの言葉が少しずつ苦手になっていきました」
「そんなとき、病院で同じがんの治療をしている方から『いつも頑張っていますね。私も頑張っています。一緒に頑張りましょう』と言われたことがあったんです。『つらいのは自分だけじゃないんだ』と、その言葉にすごく気持ちが楽になりました。それからはつらそうな方、大変そうな方を見かけたときは『頑張れ!』ではなく、『一緒に頑張りましょう!』と声をかけるようになりました」
そう語る久光は、がん患者に贈るサインには必ず「共に前進しましょう」と書き添えているという。
応援してくれているのは、目の前のファンだけではない
「共に前進することが大事なのは、フットサルも同じです。ピッチでは一人だけが頑張ったところで試合には勝てません。しかし、一人ではできないことも、二人、三人と共に努力し、前進し合うことで可能になります。いろいろな選手がお互いにカバーし合い、力を合わせることで、すごく大きな力になるんです」
もちろん久光は、チームプレーの重要性は昔からよく分かっている。しかしたくさんの人の応援とともにがんと闘ってきた経験を通し、「共に前進」という言葉の重みをより深く感じるようになった。
「ファンの皆さんとのつながりも、以前より強く意識するようになりました。昔の僕は会場に来て、目の前で応援してくれているサポーターの存在しか意識していないところがありました。でもがんになり、自分が知らない、会ったことのない方からもたくさんメッセージをもらい、応援していただけるようになりました。『フットサルのことはよく分からないけど、自分も同じ病気で苦しんでいるから』という理由で、僕のことを応援してくれる方もたくさんいます。今の僕は、そんな大勢の方々の応援で支えられていることを強く感じています」
とりわけ久光がうれしいのは、がんと闘う自分をきっかけに、フットサルに興味を抱き、試合会場に来てくれる人がいることだという。フットサルという競技の面白さがより多くの人々に認知されること。それは久光にとって大きなやりがいのようだ。
子どもの笑顔が親へ、医師へ、自分へと連鎖する
久光は一般社団法人「Ring Smile(リングスマイル)」を立ち上げ、小児がんの子どもを支援する「フットサルリボン」という活動を行っている。その一貫として、月に3回、神奈川県横浜市にある神奈川県立こども医療センターで長期入院をしている子どもたちに向けたフットサル教室も開く。
「普段、病室に閉じこもっている子どもたちはボールに触れ、体を動かすだけで本当にうれしそうな顔をします。そんな子どもを見て、お父さんやお母さんも笑顔になります。それを見た病院のスタッフが、『あのお父さん、お母さんが笑っているのを初めて見ました。ありがとうございます』と笑顔で僕に話してくれたことがあるんです。その言葉と笑顔に僕もすごくうれしくなり、そのとき、『笑顔は連鎖する』ということを実感しました」
久光は、ほかのフットサル選手とともに病棟を訪れ、がんと闘う子どもたちを慰問する活動も行う。子どもを家族とともにFリーグ(日本フットサルリーグ)の試合に招待することもある。
「選手と触れ合うことで、この選手がプレーしているところを見に行きたい。フットサルの試合を生で見たい。そんなふうに、子どもたちが早く退院するための目標を作ってあげたいんです。フットサルリボンの運営は決して楽ではありませんが、より多くの方にご協力をいただきながら、長く継続していきたいと思っています。そして今、僕らが接している子どもたちが大人になったとき、『昔、フットサル選手がこんなことをしてくれた。今度は自分たちが子どもたちのために何かをしよう』と思ってもらえたらうれしいです」
そう語る久光の周りには、実際に笑顔が多い。
「入院中のベッドでも、うちの家族は僕をよく笑わせてくれました。母親は僕ががんになったことを自分のせいだと責め、一時期はつらい思いもしていたようです。でも僕の前では絶対にそんな顔を見せず、笑顔でいてくれました。湘南ベルマーレフットサルクラブの水谷社長も『笑顔にはまったく電気代はかからないが、どんな電球よりもはるかに周りを明るくする』と言って、笑顔をすごく大事にしています。そんなたくさんの笑顔に囲まれていることが、僕ががんの治療に前向きになれる大きな力になっているのだと思います」
共に前進する中で、最高の笑顔の連鎖が生まれる。そのことを久光は、日々強く感じている。
PROFILE
久光 重貴(ヒサミツ シゲタカ)
湘南ベルマーレフットサルクラブ選手
1981年神奈川県生まれ。小学校1年のとき、横浜サッカークラブつばさでサッカーを始める。その後、ヴェルディ川崎ジュニアユースから帝京高校を経て、ナオト・インティライミとの出会いをきっかけにカスカヴェウ(現ペスカドーラ町田)の一員となる。2008年には湘南ベルマーレフットサルクラブに移籍。翌年2009年にはフットサル日本代表にも選出されたが、2011年に骨髄炎を発病。再び歩くことは難しいと診断されながらも、見事に復帰を果たす。しかし、2013年のメディカルチェックで右上葉肺腺がんが見つかった。それでも周囲の声に支えられて、抗がん剤治療を続けながら、現役Fリーガーとしてプレーしている。
- ※この記載内容は、当社とは直接関係のない独立した執筆者の見解です。
- ※掲載されている情報は、最新の商品・法律・税制等とは異なる場合がありますのでご注意ください。