東 浩紀さんコラム - 第1回
コロナ禍が人類に与えた教訓とは
新型コロナウイルスの感染拡大や、ロシアによるウクライナへの侵攻など、世界は大きな危機に見舞われている。コロナ禍については、今後爆発的な感染拡大が起きないとは誰も言い切れないが、ある程度終息が見えてきた。このコラムでは、まず今回のパンデミックが人類に与えた影響について、私が感じていることからお伝えしたいと思う。
グローバル化や情報化が進んだ社会に冷や水を浴びせたパンデミック
新型コロナウイルスによるパンデミックについては、まだこれから何が起こるかわからないので、全体を総括するには時期尚早だろう。ただ、この2年の状況を見るかぎり、中世のペストのように、その後の人類の歴史を大きく変えてしまうほどの出来事だとは思えない。もちろん、世界での死者数が約600万人(2022年5月時点)という数は大変なものだ。それでも、中世ヨーロッパの人口の3割を失ったといわれるペストのような、壊滅的な被害を人類に与えたわけではない。
ただ、今回のパンデミックが起きたタイミングと、過去の状況では大きく異なる点がある。それは現代が、インターネットやSNSが普及した情報社会だったことだろう。そのため、昔ならもっとゆっくり時間をかけて広がったウイルスに関する情報が、SNSやメディアによって瞬時に世界中に拡散した。
同時に、不安やデマも急速に広がり、世界中がそれに過剰反応し、一時はコントロールができない状況になっていた。要するに、新型コロナウイルスそのものの危険はペストなどと比べ強くなかったものの、それによる社会的リアクションは大きなものだったということだ。そういった意味で新型コロナウイルス感染症は、人類が初めて体験したタイプのパンデミックだったといえる。
今回のパンデミックは、グローバル化や情報社会の欠点をあらわにした。人類はグローバル化と情報化によって、豊かで平和で自由な社会を実現しつつある。そんな2010年代までの自信を打ち砕いた。2010年代は人類が自分たちの力を過大評価していた時代だった。その一つの例が、イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』という本の記述だ。世界的なベストセラーとなったこの本の冒頭では、人類は疫病を克服しつつあると書かれている。「今後、数百万人の死者が出るような感染症はおそらく起きない。起きたとしても、それは人的な問題によるものだ」とハラリは言っている。しかし実際には起きた。
現代の人類はグローバル化のよい面ばかり強調し、そこに潜むリスクから目をそらしてきた。コロナ禍は、偶然にもそのような傲慢さに冷や水を浴びせる形となった。グローバル化のもと行われていた人々の移動が、感染拡大を一気に世界中に広げた形だ。各国は慌てて国境を封鎖したものの、それまで築いてきたサプライチェーンが分断された。その結果、各地で物資が不足し、輸出入に頼る企業の業績が低迷した。
国境封鎖やロックダウンに感染拡大防止の実効性がどれくらいあったのか。今後はそんな検証も必要だ。先進諸国で、人権や自由を制限する政策が驚くほど性急に、またずさんな形で進められたことは大きな問題だったと思う。
自分たちの無力さを受け止め、有事のときこそ冷静に
現代社会においてもパンデミックが起きればパニックになる。いまだ感染症を抑え込む力はないし、感染症によって生じる不安もうまくコントロールできない。まずはそんな現実をきちんと認識する必要があるだろう。
さらに今、ロシアによるウクライナ侵攻が起きている。多くの人が、国際貿易によって世界が豊かになるグローバル社会では戦争をするメリットがないので、大国が他国を侵略するような古典的な戦争は起きないと考えていた。でも、現実に戦争は起きている。人間は必ずしも、合理性や損得勘定だけに基づいて行動しているわけではない。人間によって構成されている国家も、必ずしも合理的な行動をとるわけではない。個人も国も、ときには合理性のないことを行う。そんな一面を持っていることも、改めて認識する必要があるだろう。
今回のパンデミックで得た教訓の一つは、私たちは緊急時にこそ、冷静にならなくてはならないということだ。危機の際、多くの人はすぐに何らかの行動をとろうとする。すると、たいていは思考停止となり、「専門家」や声の大きい人の意見に従うことになる。しかし、専門家はつねに特定の領域の専門家であるにすぎない。感染拡大の防止だけを目指すなら、当然ながら、人の動きを止め、接触をゼロにすることが最も有効だろう。でも、それによる社会的損失や精神的損失は大変大きい。そこで多様な見方が出てくるのは当然で、民主主義社会であるなら本来、何らかの落とし所を探し、社会のなかで合意形成をする必要がある。でも今回、そのような議論はほとんど行われなかった。
いわゆる「専門家」の情報発信をメディアやSNSが増幅し、人々の不安や恐怖が煽られるなかで進んでいった一斉休校やイベントなどの自粛要請、飲食店の営業制限。どれくらいの効果があったのかはいまだ曖昧なままだ。自由民主主義を標榜(ひょうぼう)する欧米諸国でも、人権や自由を制限する政策が当たり前のように推進された。価値観の多様性に対する配慮が欠けていたと思わざるを得ない。
わからないことを「わからない」と正直に認めることが重要
今回のパンデミックでは、専門家が「こんなふうに飲食店を制限すれば、実効再生産数がこう下がるので、こういう形で感染者が減るはず」などと説明していた。ただあれは仮定に仮定を重ねたうえでのシミュレーションで、必ずそうなるという確信は発言者も持っていなかっただろう。本当の科学者は、安易に「これが正しい」などとは言わない。「わからないことをわからない」と言うのが、科学の本来の姿勢だ。
ところが一般の人は、科学者は正しい答えを教えてくれる人たちだと思っている。科学者の側も、そのような要請に応えようとする面がある。たしかに「ボールを投げたらどこに落ちるか」といった単純な問題ならば、絶対に正確な予測が可能だろう。けれども、感染拡大のように変数が大きい事象については、正確な予測などそもそも不可能だと言うべきだ。そのほうが科学的態度だ。
ある瞬間を切り取って、感染者数の増減に一喜一憂しても意味がない。専門家ですらわからないのに、アマチュアがネットで調べた情報をもとに「議論」してもますます意味がない。私は「わからないことはわからない」と認めるという態度が大事だと思っている。
大きな危機が起きたときは、安易に正解を求めたり、自分を正義だと思って他者を攻撃したりしない。「わからないことはわからない」と認め、冷静に行動する。それによって少なくとも、パニックや二次被害はある程度抑えられる。これが今回のパンデミックが私たちの社会に与えてくれた、大事な教訓だと思う。
PROFILE
東 浩紀(アズマ ヒロキ)
批評家、作家
1971年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(1998年/第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(2001年)、『クォンタム・ファミリーズ』(2009年/第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(2011年)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(2017年/第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(2019年)、『テーマパーク化する地球』(2019年)、『哲学の誤配』(2020年)、『ゲンロン戦記』(2020年)ほか多数。対談集に『新対話篇』(2020年)がある。
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